社会環境



1 歴史と社会構造


   1565年から1898年までの333年にわたるスペインの植民地としての歴史は、1756年から1763年までの7年戦争の為の英国の一時的な統治という中断があったにせよ、現在のフィリピンに非常に大きな影響を与えている事は言うまでもないであろう。約100年前の建国の父と呼ばれているホセ リサールを中心とする反スペイン革命と米西戦争をきっかけにアメリカの統治に移ったが植民地としての性格に変わりはなかった。第2次世界大戦の日本軍占領を期に1946年の終戦と共に独立をはたしたが、1972年から1986年にわたるマルコス政権とその戒厳令に対する民衆革命(2月革命叉はEDSA革命)を経て現在の政権に引き継がれている。

   第2次世界大戦後、アジアで初めての独立国として認められアメリカの援助もあり急速な経済復興をはたし始めたが、マルコス政権下の戒厳令に象徴される富の偏在を解決できずにアジアの貧困国に転落した。1996年にはラモス政権がミンダナオのモスリム勢力と和平をはたし、軍事的にも安定してきて海外からの投資も活発化し経済状況も好転してきている。

   このような歴史は、現在のフィリピンに東アジアでは独特の社会構造と性格を与えてきている。健康に関与する部分だけを考えるにしても、以下のような特徴を理解して行かなければならない。

   1)アジア唯一のカソリック教国

   2)植民地時代からの富の偏在と社会システムの階層化現象

   3)海外出稼ぎ労働

   4)インフラ整備の遅れと資本投下の解離


2 宗教

   フィリピンでは全国民の85%がカソリック教会、アグリパイ派3.9%、プロテスタント諸教派3.1%、イグレシア・ニ・クリスト1.3%、イスラム4.3%、その他が2.4%の構成であり、キリスト教徒は全体で93.3%に達する。この中でもやはりカソリック教会の影響力は大きく、現在では世界でも人工妊娠中絶術を法的に一切認めていない唯一の国になり、国家的に人口問題を解決する手段としての避妊指導の難しい国として位置づけられる。しかし、一方で処女性を重んじる宗教的教育は性モラルの維持の方向にも働いており、他のアジア諸国に比べてエイズに代表される性感染症の拡散に歯止めをかける作用もしているようである。 1994年にフィリピン大学の人工問題研究所が15歳から24歳までの1万1千人を対象に行った調査でも婚前交渉が非常に少なく、性交渉の開始年齢も比較的高い事が統計的に示されている。宗教が主な要素ではなく初交年齢には両親との別居が大きな関係を持っていると分析されているが、大家族形成の傾向とともに宗教的教育の影響を無視する事はできない。


3.民間伝承医医療

   歴史的に植民地等の被統治国民の反乱などを抑える役割を果たして来たカソリック教会の教義的な本質は、著しい貧富の差を容認しえた政治上の緩衝剤的役割を果たしていた事も見逃せない。貧困に耐えさせる宗教的教義は一方では劣悪な衛生環境の自主的な改善を妨げる要素になっている可能性もある。

   植民地化と同時に広められたカソリックの特性も、時にフォーク カソリシズムと呼ばれるように純粋なカソリックの教義や信仰方法として取り入れられたのではなく、従来からフィリピンに存在していた精霊信仰(アニミズム)と結びついて独特の形態を取っていると評価される事がある。このような古い信仰のなごりは社会に深く根ざしており、西洋医学とは違った「まじない」や「祈祷」等の超自然的な力による病気の治療を広く残している。西洋医学に基ずく医師や病院診療所システムと共に、民間の伝統的な治療に携わっている人々が以下のように数多く活躍しているようである。

   アルブラリョ:(薬草使い)約10万人

   ヒロット:(伝統的出産介助者)約4万

   メディコ:(伝統医学と西洋医学をミックスして使う)数千人

   フェイスヒーラー:(心霊施術)約千人

   中医師・中薬師:(中国文化の影響で漢方を使う)数十人

   近代化と共に、これらは西洋医学に置き換えられつつあるのであろうが、田舎などの西洋医学の力が及ばないところでは、まだまだ現実に医療に携わっていく事であろう。しかし、これらの伝統的医療はすべてが非合理的なものではなく、かなり合理的なものも含んでいると聞いている。毒蛇に噛まれてこのような施術師にかかると、切開して血液を吸い出すなどの応急処置を簡単に行うと聞く。毒蛇の毒に対する抗血清を持たない地域などでは、治療に慣れない西洋医学者等よりは頼りになる存在なのかもしれない。


4.植民地のなごり

   長年の植民地支配は、支配者と被支配者という社会機構とともに極端な富の偏在をもたらした。共存する支配層と被支配層、貧富の差は城壁のような高い塀とガードを発達させている。独立してからもこのなごりは解消されてはいないしそう簡単に改善されるものでもないのかもしれない。

a)ヴィレッジ

   最もこれが身近に感じられるのは住宅の建築においてである。宅地が造成される時にはそのインフラと同時に周囲に塀を作りガードも同時に配置する。それからヴィレッジとして土地を売り出す方法がとられる。そして土地の購入者もまず家の周りに高い塀を巡らし、それから住宅の建築を始めると言うのが高級住宅地の手順になっているようである。これはイントラムロスとして残っている城塞都市の建設を彷彿とさせる。首都圏にはこのようにして作られた高級ヴィレッジがいくつかあるが、なにかその中の住人に特別の用でも無い限り、一般人がその中を見る事は難しい。最高級ヴィレッジの中にはプール付きの豪邸が建ち並んでいる。警備も厳重で、そのヴィレッジ発行の特別の許可証を持たない場合は、入り口で免許証などの身分証明書を預けなければ中には入れないほど警備が厳重である。ヴィレッジの中は一つの自治区的な組織化がされ、ゴミ処理、警備、害虫駆除などの衛生管理もされており、この壁が衛生的にも外部と隔てる役割を果たす。

b)娯楽・リゾート

   植民地として外来者の支配を受け、また貧富の格差が激しいフィリピンには、国や多くの国民が貧困であるという事実とは裏腹に、富裕層の為の施設が充実している。競馬、カジノ、ゴルフ場、ボーリング場、高級リゾート等の娯楽施設は経済が停滞し貧乏国と言われるようになる以前から発達していた。これらの施設の発達には、植民地の支配形態や支配国の影響が色濃く残っている。ヨーロッパ諸国から独立したアジアの諸国が多い中で、フィリピンはアメリカから独立した点でかなり独特の発達を遂げているように感じられる。民族主義的な抵抗も少なく外来文化を割にストレートに受け入れていく国民性と共に、これらのリゾートや娯楽施設も盛んに設置され、その収入階層に応じて利用されてきたようである。極一部の超富裕層や外国人だけが利用できるような超高級リゾートも存在しているが、このような様々な収入レベルに応じた施設の多様性が外国人の観光客をひきつける要因にもなっているのではないだろうか。

   一方、富裕層が利用するような施設は警備が厳重である。極端な貧富差は時にモラルや秩序の欠如によって様々な犯罪を誘発する。この為に警備の壁が作られて富裕層はそのなかで楽しむようになる。国として貧しいと評価されているフィリピンではあるが、その貧しさを背景にこのような壁を作り豪華な施設を作り維持して行ける富裕層が存在している。リゾートなどは料金の壁を設けて、階層の違う人々の侵入を拒んでいる。この壁の中で生活する人々の保険衛生意識は高く良好な環境を保つ努力がなされている。

   日本では伝染性の病気にかかった人を社会から隔離して全体を守ろうとするしくみがあり法律もある。しかし、フィリピンでは富裕者がこのような警備を中心とする壁を利用して、自らが金を出して自分達の健康を守ろうと言う意識が働いているようなのである。

c)言語

   植民地支配のなごりで顕著なものはやはり言語の問題であろう。スペインの植民地支配の開始によって、多数の孤立民族が統合されて国境が設定され国となった歴史を持つフィリピンでは、マレー系語属という似通った文法を保持するだけでお互いには通じあわない126もの言語が今も話されているという。国という単位をなすための公用語には支配国の言語が使われた。スペイン支配時代にはスペイン語がそしてアメリカ支配時代には英語が公用語として使われた。独立後も1987年のアキノ政権下の新憲法でタガログが主体のピリピノが国語として制定されるまでは英語が国民の意思を疎通させるための共通言語であった。世界のあらゆる分野で英語が公用語として使用されている現在、多くのフィリピン人が言語を武器に海外に進出している。

   日本にはビザの関係でエンターテイナーという名目での多くはホステス的な仕事をすCW(契約労働者)が非常に多く働いているだけであるが、サウジアラビアを中心とする中近東への単純労働者や技術者、シンガポール、香港、マレーシア等の東南アジアへのメイド、また優秀な船員として幅広い分野にわたって活躍している。特に医療分野では、アメリカへの進出が著しく、フィリピンで医師免許を取得した者の30%が働いていると言われている。看護婦については14万人以上が働いており、婦長クラスの要職にもついているために1986年にはアメリカは医療職に永住ビザを与える事を検討しはじめたようである。このようにフィリピンの出稼ぎ労働者や移民は、日本では単純労働が主と考えられがちであるが、技術労働者として評価されている面が大きい事も無視できない。これらの海外労働者は400万人をはるかに越えており、その送金はフィリピンの大きな収入源とも評価されている。また富裕層は気軽に外国にショッピング、バカンスに出かけて行くだけの資力と余裕を持っている。これらの背景には国際言語である英語を公用語にしてきたことが大きな影響を持っている事は明かであろう。

   大きな国際間の人の流れは、近代技術などの流出入にも大きな影響を及ぼす一方で感染症など容易に流出入する危険性をはらんでいるので注意を要するだろう。


5.インフラストラクチャーの不整備

   独立後もアメリカ主導の開発により都市部では上下水道、電力、高速道路等の整備はアジア諸国の中でもフィリピンは比較的早く始められた。しかし、マルコス政権時代からアキノ政権時代の経済発展の停滞により設備は老朽化してしまった。また工業化の速度にこれらのインフラの整備が追いつかずに、電力不足や交通渋滞を引き起こし現在に至っている。インフラの整備はラモス政権の時代に入り急速に整備されつつあり、電力供給は安定したが、その他に対する解決策はまだ不十分でその効果は現れてきていない。

a)水

   水は工業や農業に関係するだけでなく、国民衛生上も非常に重要な物である。そのために上下水道の整備が必要になる。熱帯雨林、熱帯モンスーンといった気候にあるフィリピンでは水は豊富である。しかし、森林伐採による保水力の低下や下水道の不整備による都市部での局地的洪水、さらに上水道の不整備による水圧の低下が頻繁におこり、各所で衛生的な面からみても様々な欠陥を露呈してきている。また、河川の汚染も急速に進んでおり環境問題としても注目をあびている。

   その中でも、1996年8月に首都マニラのマラテ、サンアンドレス、パコ地区で発生したコレラの集団発生は象徴的な出来事であった。コレラによる入院患者約150人、4人の死者を出した。水圧の下がった古い破損した水道管に下水が流入したのが原因であった。フィリピンは日本と同じように水道水が飲用できるとされてきた世界でも数少ない国の一つであった。これが悲劇を増大させる結果につながったと思われる。マニラ首都圏では、マニラの水道の上流部にあたるマカティ、マンダルヨンといった地域に急速に高層ビルの建設が行われており、これらのビルは不安定な供給に備えてポンプで上部の貯水層に水を汲み上げており、これらが水道管に陰圧をもたらしてしまったと考えられる。生活に最も重要な役割をはたす水道については、原則として、そのまま飲料に供することは不適当と考えた方がよい。マニラ日本人会診療所では、希望者についての水道水の水質、細菌学的検査を行っているが、最新のコンドミニアムの水道でも大腸菌の混入など、日本の水道水水質基準では飲料水としては不適当なものが多いようである。必ず水道水は十分な煮沸を行ってから飲用に供するべきである。煮沸も沸騰してから確実に20分の加熱を行わなければならない事は注意すべきである。さらに、水ばかりでなく市販の氷にも十分に注意しなければならない。病原微生物は凍らせても死滅しない。1997年の6月頃から12月末までの間にマニラ日本人会クリニックが把握できた腸チフスと診断がついた日本人の数は27名に達した。この中で1名を除いては市中のレストラン等でのソフトドリンク類の氷には注意を払っていなかったという共通点以外は原因推定が難しかった。一方、同年7月頃にはマニラの貧困地区として名高いトンドで数十人規模の集団腸チフス感染があり、原因は街頭で売られた氷菓が原因との報道がなされた。

b)交通

   産業基盤としてのインフラストラクチャーについては、交通網の整備は重要である。一方、交通網の問題は救急や交通事故等医療の面で問題になることも多い。フィリピンでは早くからアメリカ式の自動車を中心とした高速道路網が計画され、鉄道網などはほとんど整備がなされなかった。この高速道路網も経済的な遅れで維持管理が十分に出来ずに、さらに近代化と工業化の波に対応しきれずに、慢性的な交通大渋滞を引き起こしている。交通渋滞時には、大きな自動車事故は起こりにくいが、渋滞が無い場合には自動車自体の整備規制が十分でないためのスリップなどによる大事故も多いようである。中には、取り締まり規制が緩く、スピード違反や飲酒運転も数多く見られるのでそれによる大きな事故に巻き込まれる者もいる。

   大きな病院はシステム的に、救急車や24時間対応の救急室を持っており対応しているので救急診療は日本よりスムースに進む面もある。しかし、私立や公立病院間や病院毎のレベル格差が大きく、信頼できる病院に行くためのアクセスについては常に時間的な問題がつきまとう。

   マニラ首都圏では、多くの日本人がマカティ地区を中心にマニラに住み周辺部の工業団地などに建設された工場群に勤務すると生活をしている。渋滞がなければ1時間ほどの距離も渋滞時には2ー3時間かかる事もまれではなく、この渋滞をはずして早朝に出勤し夜間遅く帰宅するなどの実働時間の増大を招くような変速的な生活を強いられている人々も多く健康上の問題も大きい。

   LRTの建設延長など、高速鉄道網の計画もあるがまだまだ時間がかかるものと思われる。この為、緊急時の輸送の為にヘリコプターを導入しようという病院建設計画も見られるが、まだ計画の段階である。

c)大気海洋汚染

   交通渋滞、環境汚染規制の緩やかな東南アジア諸国では共通的に見られる現象であるが、フィリピンも例外ではない。排煙を吹き上げて走るバスやジプニー、老朽化した多くの自動車。そして時に見られるばい煙を吹き上げる煙突。日本ではあまり見かけられなくなった光景も、マニラではまだ見る事が出来る。数年前に比べれば、壊れそうなタクシーや自家用車は少なくはなり、大部改善されてきているようにも見える。日本は「四日市喘息」など公害喘息の経験を持っているが、マニラ首都圏に在住する日本人の風邪症状を診ていると、咳が取れにくく喘息の要素が強い症例が多いようである。原因は大気汚染ばかりでなく、エアコン等にもあるのかもしれないが、渋滞による排気ガスや近郊の工場群の排煙による汚染は相当深刻なものを感じる。このような咳症状の継続は、隔離政策を取ってきた日本とは結核対策が全く異なるフィリピンでは、罹患の可能性も高く結核との鑑別を難しくしている。診断における胸部レントゲン撮影の必要性は格段に高いといえるであろう。 空気中の窒素酸化物濃度もかなり高いと思われるが、地形のせいか光化学スモッグによる目の刺激などを訴えるケースが少ないのは幸いである。一方、マニラ湾を中心とする海では、最近プランクトンの異常発生による赤潮がかなり観測され、貝類の採取を禁ずる報道がなされる。しかし、市場には貝類が並んでおり、危険な商品かどうかの見分けは難しい。フィリピン人たちは購入を控えるので価格は非常に安くなる。しかし、このような現地報道に疎いと思わぬ落とし穴に入ってしまう事があるので現地の健康に関する報道にも注意を払っておく必要がある。

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