レオ・エチガライの死刑 |
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2月5日午後3時にモンテンルパ刑務所(New Bilibid Prisons)から1キロ離れた死刑執行部屋でレオ・エチガライ囚人は注射器で処刑された。
死刑当日の朝8時頃、エチガライ囚人の妻のゼナイダさんは、モンテンルパ刑務所に現れ、待ちかまえていたマスコミに対して「夫の最後の言葉は”僕が無実である事をみんなに伝えてくれ”だった」と明らかにした。また、ゼナイダさんは「レオが死んだ後に、人々が彼が本当に無実である事を突き止めたなら、彼らは後悔する事になる」と語った。
エストラーダ大統領
死刑執行日の朝、大統領は「容疑者が貧乏によって、憎むべき犯罪を犯した事が証明されるならば、私は死刑囚を救うだろう。しかし、エチガライは貧乏と関係なく、動物的本能で行動した。我々は花輪を無駄に使っているので、彼の為に花さえ送るつもりはないが、祈る事は出来る」と語った。午前11時30分に大統領はアジア開発銀行(ADB 総裁日本人)から正式な警告文を受け取った事を発表し、大統領はその内容として「その処刑を行う事は法と秩序を維持する政府の決意の証拠になる。エチガライ氏の死は犯罪者の犯行活動に強い警告となる」といった内容であった事を発表した。
セラフィン・クエバス法務大臣
昼頃にセラフィン・クエバス法務大臣はマスコミ各社にエチガライ囚人の死刑執行を予定通り行う事を発表
最高裁判所
死刑開始の2時間前の1時頃、最高裁判所はエチガライ囚人の弁護士、テー・ロイダ氏が有罪に疑問があるとして求めていた執行の11時間延長を却下した。
死刑部屋への移動
死刑執行日の2月5日の早朝、レオ・エチガライ囚人は1キロ離れた死刑部屋に移される為に大勢の看守に付き添われて、マスコミの前に姿を表した。エチガライはオレンジ色の囚人服で身を包み、十字架のネックレスをかけ、聖書を持っていた。また、右腕にはエストラーダ大統領が5月の大統領選挙の時に運動員に配布した腕章を付けていた。マスコミ各社は大声でエチガライ囚人に様々な質問をしたが、何も答えず、黙って護送車に乗り込んだ。看守によると、この移動中に「僕は本当に悪い人間ではない」と語ったという。
反対者及び賛成者のデモ合戦
午後に入ると、死刑制度賛成派(左)は被害者の絵や写真を掲示して被害者の権利を訴え。
反対者らは囚人の人権又は無実の可能性を訴えた。
死刑直前
死刑執行時間が近づき、マスコミが騒がしくなり(左)、そして看守や警官らが囚人の暴動及び反対者の行動に備え始めた(右)
8分前の午後2時52分、エチガライ囚人は「神様、俺は死ぬのか? あんたはいつも俺を傷つける」と叫んだ。
死刑執行
3時ちょうど、外ではマスコミ各社を含む、約2千人の人々がフィリピンで23年ぶりに行われる死刑執行の為に色々な思いで静観した。
中では死刑部屋の内側のカテーンが開かれ、エチガライ囚人の妻のゼナイダを含む30人の見届け人たちの目にはエチガライ囚人の姿が入った。マジックミラーの為にエチガライ囚人からは見届け人たちの姿は見えない。そして3時2分、処刑が開始され、まず左腕に静脈麻酔剤を注入し、エチガライ囚人を眠らせた。それを見届けていた妻のゼナイダが気絶して救急車で病院に運ばれたが、処刑は引き続き行われて、次に筋弛緩剤を注入して神経と筋肉の間の働きをブロックさせ、そして最後に死に至らしめる塩化カリウムを3時11分に注射した。3時18分にNBP病院のマルズ・ブラヌーバ博士が脈を計り始め、1分後の3時19分に死亡が確認された。
この処刑方法について元日本人クリニックの高濱医師によると「これは、死刑と言うよりは、完全な安楽死の方法ですね。本人に生への執着がなければ、死を望む人々の理想の死に方に近いでしょう。この方法はアメリカで安楽死自殺を奨励し手伝って、裁判になっている医師の取っている方法のひとつで、日本でもは、医師が塩化カリウムを使って患者の安楽死を手伝って問題になった薬物として有名です。」と語った。
そしてエチガライ囚人の処刑が終了し、エチガライ囚人は刑を終えて救急車にて出所するとの発表がされ、マスコミ各社は死刑部屋の方へ走った。
最後の言葉
エチガライ囚人の最後の言葉はABS-CBNテレビの放送では「ベービー 許して下さい」と放送されたが、実際は反対であった。その理由としてベービーは本名でも愛称でもなく、報道の上で使われた架空の名前であった。エチガライ囚人の言い残した言葉は「あなた方フィリピン人が私を非難した罪を許して下さい。」と語り、エチガライは最後まで無実を訴えていた。また、「他に言い残したい言葉はあるか?」の質問に対して、エチガライは「フィリピン人は仲間のフィリピン人に殺された!」と語った。
セラフィン・クエバス法務大臣は「処刑はぞっとする程のものではなかった。それは2度と覚めない麻酔をかけられている様に見えた」と語った。また、エチガライの最後の言葉について「私は彼(エチガライ)が容赦を求めるのを予想していたが、全く後悔した様子がなく、むしろ全フィリピン人に対して抗議した。
また、フィリピン刑務所組合のロドリゴ・コルネーホ代表は「レオの言葉が私の中に大きな疑問を残した。私の望みは彼が本当に有罪であって欲しい、もし彼が本当に無罪であったのなら私たちの手で彼を殺害した事になる。
死刑賛成者
死刑反対者
エチガライの家族
死刑執行によりエチガライ囚人が死亡した報告をケソン市サンフランシスコ・デル・モンテの自宅で聞いた母親のシルベストラさん(68歳)と2人の姉妹は泣き崩れ、母親は「私の息子は無実だった。息子が強姦したとされてるベービー、彼女の保護者、バランガイリーダーのナーティーン・ダイノーと彼女の祖母のスンシオン・リヴェラの責任よ」と語った。また、母親は「私たちの法律はどうなっているの?無実を訴えている者を罰するの?」と非難した。また、エチガライの姉のフェは「それは不公平よ、私の弟は不当に扱われたわ」と泣きながら訴えた。レオの弟はエチガライの家に群がっているレポーター達に向かって「あんたらは幸せか?僕の兄を殺させたのはあんた達だ!僕の家族を崩壊させたのあんた達だ!」と怒鳴りつけた。しかし、姉がレポーターに謝罪し、弟は怒りが静まったが、母親はマスコミに対して「ダイノー側(被害者側)に嘘を売っているだけだ」とマスコミを非難した。レオのいとこのドミンダー・エチガライも「レオは不完全な司法制度によって犠牲になった無実の男である。仮に彼が有罪であるならば、少くとも彼は自分の犯した罪に対して後悔を示すはずだ。彼は強く無実を主張していたはずだ」と言った。
死刑祭り
政府はマスコミ各社に10席をエチガライ囚人の死刑執行を許可するとし、水曜日にマスコミ60社が抽選会に出席、だが10席の内1席は政府所有のチャンネル4用に確保されていた為に、当選しなかった全国放送のABS-CBNはその選出方法に異議を唱えた。また、中にはマスコミ扱いではなく、エストラーダ大統領の代理人として死刑を見届けたリポーターもいた為に落選したマスコミ各社は、選出されたマスコミ及び政府に対して、疑惑を抱き中傷合戦となった。だが、エストラーダ大統領は見届け人の選出への交渉を否定した。死刑が終了すると、更に過激になり、ヴァレンズエラの死体保管所までレポーターらはエチガライの遺体を追っかけ、DZBBラジオ局のレポーターは「私は今、死体保管所に来ており、私はレオの足を持っています。彼は部分的にまだ暖かいので、ただ寝ているだけの様に見えます」と生中継で放送した。祭りはマスコミだけではなく、処刑前に元俳優でビルマ・サントスに名前で知られている、ラルフ・レクト下院議員が現れると、刑務所の女性職員は興奮してレクト下院議員の頬にキスをした。これらの光景を目にした外国のマスコミは「これは処刑祭りか?」と語り、エチガライの妻は「彼らは人が殺される事を楽しんでいる。彼は無実なのに・・・」とレポーターに語った。
今後について
エチガライに続き死刑執行が予想されているのは2つの事件の被告らで、1つは1994年に強盗殺人で逮捕され、共犯者として死刑が宣告されたダンテ・ピアンドン囚人、アーチ・ブラン囚人、ジーサス・モラロズ囚人のいとこ同士の3名だが、彼ら3名は無罪を主張している。もう1件は同じく1994年にラグナで看護婦を強姦した上に殺害したとして、最年少で死刑判決を受けたパブリト・アンダン囚人(当時20歳)の全部で4名である。しかし、ブラス・オペル上院議員とエルネスト・ヘレーラ下院議員は、麻薬密売人の場合は裁判所の判断でその処刑の方法を注射器ではなく、銃殺で処刑する様に法律を改正する修正案を正式に提出する事を発表した。また、両議員は現在モンテンルパ刑務所には死刑を待たされている死刑囚人が800名以上おり、その中に麻薬密売人が40人いる事に注目し、次の死刑を大物麻薬密売人を選び出して処刑する様に法務省に働きかけている事を明らかにした。この40名の中には鈴木英司被告も含まれている。
ICQ 3789784