ALSと診断された日
病院に行ったが
何度検査をしても
母親の病気の原因が分からず、
親戚も心配し、大阪の病院に入院することになった。
何日か経ち、病院から連絡があった。
母親の病気のことで大切なお話があるので、ご家族の方、どなたか来て頂けませんか?
いい話であるわけがない。
いったいなんという病気だったのか・・・
父親は日頃の疲れもあるし仕事もある。
姉の子供もまだ小さいし二人もいる。
とりあえず私が行くことになった。
姉の家に子供を預け新横浜から新幹線に乗った。
席はなく、3時間扉の横で立っていた。
その日は親戚の家に泊まった。
母の姉は、その病気のことを知っていたが、
そのときは私には教えてはくれなかった。
翌日、病院へ行くと、母親が笑って待っていた。
なんだ、元気なんじゃない・・!
と安心したのもつかの間、
そのあと先生に話しを聞いて愕然とした。
お母さんの病気ですが、
ALSという病気です。
一種の難病でして、確実に進行していきます。
呼吸器をつけなくては生きてはいけない病気なので、
家族で話し合って、つけるかつけないか決めてください。
こうお話をしても、よくわからないかと思いますので、
このプリントを読んでください・・
一瞬、何を言ってるのかわからなかった。
この言葉も、はっきり覚えているわけではないので、
このとおりじゃなかったのかもしれない。
母親が病室で
「そうなのよ〜大変な病気になっちゃったみたいだわ」
と普通に言っていた。
他の患者の人達と仲良くなっていて、とても楽しそうだったのが、悲しかった。
帰りの新幹線で、
もらったプリントを読んだ。
この病気、治らないんだ・・
治療法がないだって・・
死ぬしかないんだ・・
しかも身体が全く動かなくなるんだ・・
話もできなくなるんだ・・
母親は、死んでしまうんだ・・・
死ぬってどういうことなんだろう・・・
ママが死ぬ・・・?
ALSなんて病気、知らないよ・・
ずっと私たちのために休まず働き続けてきた母が、
やっと、私たちも結婚して、父親も家に戻ってきて、
これから自分のやりたいことをやろうって楽しみにしていた母が
なんでこんなわけがわからない病気にならなくちゃいけないのよ・・
これから寝たきりになるのを待つしかないなんて・・・
涙がとまらなかった。
泣いてばかりもいられなかった。
このことをどうやって姉と父に言おう・・
一番ショックがないような話し方で話しをしなければ・・・
あたしがしっかりしていなければ・・・
そんなことを考えながら、
新幹線は新横浜に着いた。
あんなに帰りの景色が悲しかったことはなかった。