闘病生活


だんだん歩くのも苦痛になり、起きあがれなくなってきた。
かえって外に行くことがイヤになっているようだった。
寝たきりになってからは、訪問看護の人達が来てくれて、
昼間、私が仕事に行っているあいだは介護をしてくれた。

NPO団体の「えん」さんはとってもいい人達だった。
本当に、一生懸命母親のために頑張ってくれた。

母親も嬉しそうに誰が来て、どんな話をしたのかを話してくれた。

私は父親がいない日(ほとんど一日おき)に介護に行っていた。

この病気は、感覚はあるのに(痛いとかかゆいとか)自分で動かすことが全くできない。

たまに、全く動かなかったらどうなるのだろうか・・
と布団の中で自分なりにためしたことがあったが、
30分も動かせないだけで、ものすごいストレスになってくる
そういうことを母は何年やり続ければいいのだろう

何ひとつ文句も言わず、今のこの状況を受け入れる母の前で
くだらない愚痴を言っている自分が、本当に情けなく思えた。

呼吸困難になったら、呼吸器はつけないでね
これが母の選択だった。

元歌手の私の声が出ないということは
もう死んだも同然。
だからそのときが死に時だ
と母は言っていた。

本当は、私達に負担がかかるのが悪いと思って
言っているのではないか。

よくそう思ったが、母は

本当にそう思うから、そのときは頼んだわよ。

と強く望んだ。

結局母は、最後まで話しをすることができた。
声が出なくなるという最期ではなかった。
ちょっとだけだけど、
これが奇跡なのかな
と思ったりもする。