フィリピン医療の歴史



   フィリピンの存在する地域には、昔から精霊信仰(アニミズム)が伝統的に存在していたと言われている。13世紀頃には南西からイスラムが、北西からは中国の文化が流入しはじめた。そして、15世紀になってスペインによる植民地化によってカソリックとともに西欧文化が持ち込まれ、現在のフィリピンという国の国境が出来上がり、さらにアメリカによる植民地支配の影響を受けて現在に至っている。

   日本では江戸時代に入る以前の1578年には、キリスト教の布教にともなって最初の病院がマニラに作られた。これが後に、Hospital of San Juan de Diosと現在のDOH(保健省)の隣にありフィリピン国立の感染症の専門中心病院に引き継がれて、アジアでは最古の病院として現存している。1611年にはUST(セント トマス大学)が開設され、その中に医学校が設立されて西洋医学が伝えられている。フィリピンの西洋医学は日本が鎖国をしていた関係もあり、それよりも非常に長い歴史を持っている。西洋医学をもとに近代医学がアメリカでも発達し、医学の面でアメリカが中心的な役割を果たすようになった頃には、アメリカの教育システムや医療システムもその植民地支配の副産物として直接伝えられている。しかし、これらは植民地支配者及びそれに関連する極一部の富裕層のための医療環境であった。

   一方、民間には古くから伝わる民間伝承医療が根付いており現在でも引き続き利用されている。アルブラリョと呼ばれる薬草使いは今でも約10万人ほどが活躍しており、ヒロットと呼ばれる伝統的出産介助者も約4万人が活躍しているようである。また、これらの伝統医学と西洋医学をミックスして使うメディコと呼ばれる人々も数千人活躍している。なかでも、精霊信仰を基盤に超現象や超能力を受け入れ易い社会基盤のなかで、今でもフェイスヒーラーと呼ばれる心霊施術を行うものが数千もおり人々に信じられている事は特筆すべき事であろう。また中国文化の影響も受けて中医師・中薬師という人々が中国人社会を中心に数十人が活躍していると言われる。

   このような歴史的背景をもとに、フィリピンでは世界的な標準での最先端の医療技術や設備が富裕層を中心に提供されており、低所得者層や辺境部では民間伝承医学が大きな力を持つという独特の2重構造がみられる。UP(フィリピン大学)などでは、西洋医学を一方的に広めるだけでなく民間に伝わる生薬を西洋医学に取り入れて独自の安価な医療体系を模索する研究も行われているようである。

   現在、フィリピンで独立の父と呼ばれ国民的英雄として最も尊敬されているホセ リサール(1861-1896)はアテネオ、USTで学びスペインに渡ってマドリッド大学で学んだ有名な眼科医であったことも特筆しておこう。

 

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